雲部車塚古墳(東本荘)
墳長約140m、後円部径約80m、高さ約13m、前方部幅約90mの前方後円墳である雲部車塚古墳は、兵庫県下では2位を誇る古墳です(1)。
また、馬蹄形の周濠・周庭帯・周溝(2)をもつ古墳で、主軸を東西にとり、前方部を東に向けています。くびれ部の両側に陪塚が配されていることから、この陪塚を車の車輪にみたて、車塚と呼ばれています。
現在は、2基の陪塚とあわせて陵墓参考地となっており、立ち入ることはできませんが、1896(明治29)年、地元民によって試掘調査がおこなわれています。詳細は省きますが、あくまで試掘であって盗掘ではありません。これ以後、地元民の努力と木戸村長の奔走によって、今なお雄大な姿をとどめています。
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左:北倍塚 右:南倍塚 |
(1)岸本道昭氏が姫路市の壇場山古墳を実測されたところ、全長147mあったそうです(『前方後円墳からみた播磨』 2001年)。現在、壇場山古墳の墳丘長は、143mになっています(『姫路市史』2010年)。
朝来市の池田古墳の墳丘長は、128m、133m、135mなど言われてきましたが、規模については確定していませんので、兵庫県教育委員会の『兵庫県遺跡地図』(2011年)に掲載されている141mが公式の見解になっています。※Wikipediaに約136mとあるのは、2007年の「池田古墳 発掘調査 現地説明会資料」によるものです。「現地説明会資料平成19年3月10日」 「現地説明会資料平成19年11月18日」
一方、雲部車塚古墳の場合、『兵庫県遺跡地図』(2011年)には墳丘長140mになっていますが、2006年の調査で158mに復元されています(注)。

(注)有馬伸「雲部陵墓参考地墳塋裾護岸その他工事に伴う事前調査 4 墳丘の復元」『書陵部紀要』第57号 2006年
(2)2005年の県道篠山丹波線の歩道設置工事に伴う調査をした結果、周濠と南陪塚の間から幅約3.2~3.5m、深さ約30cmの溝が、長さ約40cmにわたって検出されています。このことから、周庭帯の外縁に周溝が設けられていたと考えられています。
雲部車塚古墳関係年表
| 1652~1654 | 承応年間 | 篠山藩主松平若狭の守、地押のの際、北側の濠を残し、濠の三方を埋め耕地とする |
| 1875 | 明治8 | 地租改正により村有地となる 村民14名に売却、村民14名の共有地となる |
| 1886/12/29 | 明治19 | 二度目の開墾願いを兵庫県庁に提出 |
| 1896/05/14 | 明治29 | 八木奘三郎車塚を実地検分 |
| /19 | 車塚試掘 | |
| /26 | 陪塚調査 | |
| /30 | 姫柄試掘願書提出(後に不許可) | |
| /07/29 | 木戸村長、五色塚古墳、壇場山古墳を視察 | |
| /08/09 | 木戸村長、中国人類学会に入会、第4回例会で報告 | |
| 1897/06/19 | 明治30 | 出土遺物調査報告 |
| /08/14 | 車塚は保存すべく宮内省の指示あり | |
| 1898/05/11 | 明治31 | 木戸村長上京、諸陵寮頭戸田氏共に面会 |
| 1899/07/06 | 明治32 | 陵墓参考地として宮内省に買い上げられる |
| 1900/03/30 | 明治33 | 陵墓参考地になる |
| 1901 | 明治34 | 出土品を京都帝大へ移し保管 |
| 1903 | 明治36 | 田を濠に戻す工事に着手 |
| 1935/05/15 | 昭和10 | 宮内大臣へ「陵墓指定申請書」を提出 |
| 1967 | 昭和42 | 濠を改修(宮内庁) |
| 1978~1979 | 昭和53~54 | 松くい虫により老松枯死全滅 |
| 1984 | 昭和59 | 周庭帯の発掘調査(篠山町教育委員会) |
| 2004 | 平成16 | 墳丘裾護岸等整備工事に先立つ発掘調査 |
| 2005 | 平成17 | 周溝確認 |

